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調べても、調べても。


怪我をして「二度と歩けません」と言われ。

それはショックというよりも、医師が何を言っているのか私にはわからなかったし、

自分がこれから車いす生活になる、と実感できませんでした。

眠れもしません。しかし手は動かせる。「脊髄損傷とはなんなのか?

一体なんなんだ、この怪我は!とにかく調べ続けました。

 

自分にとって重要なのは「この先、どんな仕事ができるのか」でした。

歩けない、なんてどうでもよかったんです。

仕事はどうなるのか。自分は家族を養っていけるのか。

私にとってはそれが重要でした。でも結局、知りたいことはわからない。

それなら自分のことでも書いてみようか、とブログをはじめたのですが

後々これが自分の道を切り開くきっかけになるとは、その時は思いもよりませんでした。まぁ今考えると、本当にのんびりした病院生活を送っていましたね。

 

妻は当時10歳と8歳になるふたりの子どもを連れて、

毎週片道3時間もかけて病院へ会いに来てくれました。本当に感謝しています。

そして車いす生活の基本を教えてもらったリハビリ病院を か月で退院。

入院の間に車いすで生活できるよう改装した自宅に、ようやく戻りました。

 

さて、自宅には帰ったものの。今後のことをどこに相談すればいいのかは、

まだわからないままでした。仕事は長期休暇扱いにしてもらえていましたが、

あの厨房に再び入れるとは、私にはとても考えられませんでした。

この先どうしよう。これからどうやって家族を養っていけばいいのか。

私のような怪我をした人が、日々どのように暮らしているのか。

車いす生活の先輩たちの経験や、この身体になってから得た知識。

とにかくそれについて知りたかったので、まずは地域包括支援センターに連絡してみると、

自宅に来て話をしてくれました。

 

「私にできる仕事はないですか?」しかし見つからない。

「障害者が集まる場所はありませんか?」答えはデイサービス。

ほかにも教えてもらった場所に行ってみると、精神障害の方々が集まる場所だったり…。

私が求めるような、人生の途中で障害者となった脊髄損傷者たちが集まり

情報交換できるような場所は、見つかりませんでした。

 

市役所にも行ってみました。

この地域に暮らす車いす生活の先輩たちは、日々どんな暮らしを送っているのか?

とりあえず「市役所なら何か情報があるかも」と期待をして障害者支援課に

行ってみたものの、残念ながら「個人情報」として何も教えてもらえませんでした。

 

「脊髄損傷連合」という団体は、この怪我について調べていたときに

簡単にヒットしたで知っていました。

「自立と社会参加を支援するとともに、医療及び介護制度の充実を図り、これらの施策を

総合的かつ計画的に推進する事業を行い、広く社会に貢献することを目的」とした団体です。

「自立と社会参加を支援」しているのですから、ここなら何か情報があるだろうと思いました。

自宅からはかなり遠く、その場所まで3時間近くかかるのですが

知り合いの車いすユーザーに車で連れて行ってもらい、一緒に行ってみました。

その時の集まりは当事者同士での食事会でしたが、

結局ここでも期待したような情報は得られませんでした。

そこで話されていた内容は、私の耳には愚痴にしか聞こえませんでした。

自分で何か動きだすでもなく、社会への文句ばかり。

そこにいた人たちの中で、「自分から何か動き出してみよう」という考えの人は

以前からの知り合いだった3人ぐらいで、その人たちは自然と仲間になっています。

自宅から遠すぎるその場所へは、結局その一度しか参加していません。

 

ほかにも情報交換ができる、車いす生活の人たちや障害者の集まりがないか調べました。

そもそも障害者というのは身体障害・知的障害・精神障害などさまざまあって、

障害者を取り巻くさまざまな法律があり、その法律ごとに「障害者」の定義があります。

生まれつき障害のある人。人生の途中で障害者となった人。

まずここで考え方が大きく違ってくるように私は感じていますが、

障害者団体にはその家族や支援する人も関わったりと、とても複雑なようです。

私がイメージするような、お互いの生活情報や仕事内容、趣味やスポーツの情報、

車いすメーカーの感想など、そんな情報交換ができる集まりは、

いまでも「存在するのか?」と思うほどに見つからないんです。

いっそのこと、そういう集まりを私が作ってしまえばいいのでは?

そんな風に考えるほど、車いす生活の先輩たちと情報交換をする方法は全くありませんでした。