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「車いすの人」から、「金子さん」に。


2016 年 月。

自宅に戻ってからの生活は、全く新しいものでした。

入院している間は、看護師さんがなんでもやってくれていました。

同じ時期に、同じ怪我で入院している車いすの仲間もいました。

それが退院と同時に、仲間も看護師さんも誰もいなくなると

自分は何もできない、ここまでできないのか”と、はじめて気づかされます。

そしてもうひとつ、車いすユーザーは世の中で珍しい存在なんだ、とも気づかされます。

この「あまりにもできない自分」と「人の眼にさらされる感覚」に驚きます。

とにかく孤独、そして寂しさを感じていました。

 

怪我をする前、自分の足で歩いていた時は気づきませんでしたが、

ほとんどの道路は平らではありません。段差があったり、雨水が流れやすいように

斜めになっています。他にも穴が空いていたり、凸凹だったり。

とにかく慎重に進まないと、簡単に車いすから落ちてしまいます。

そして落ちたと同時に、人が集まってきます。“落ちたと同時に” です。

それは「私を見ていたから」すぐに気づいたのではないかと思うんです。

ありがたい、とは思います。 それでも「見られる」感覚は、

慣れた今でも嬉しくはありませんけどね。

 

けれど私が自分の足で歩いていた頃を思い返してみると、

正面から車いすの人が来たらどう行動していたでしょうか。

頭の中で「なにか声をかけたほうがいいのか ?」と考えたとしても、

おそらくどうすればいいのかわからないまま、結局なにもせずにすれ違っていたでしょう。

そう考えると、今はこう思います。

車いすの人は実はとてもたくさんいるけれど、社会にあまり出てきていないのではないか。

だから多くの人は車いすや障害に「慣れていない」だけなのではないか、と。

 

今でこそ、そんな事も客観的に考えられるようになりましたが、

退院したてのこの頃は本当にショックというか、いろいろありました。

死にたいとも考えていましたし、頭の中もぐちゃぐちゃで、

妻や子どもたちの前で大騒ぎをして、大声で泣いたのも覚えています。

次の日になると、家族みんなに謝って。 そして「前を向くには?」と考えはじめました。

 

私は怪我をした当初から、子どもたちの運動会は見に行きたいと思っていました。

しかし私が行けば、視線が集中するのもわかっています。

家族にも、自分と同じような嫌な気持ちを感じさせてしまうかもしれない。

だったら私が「珍しい車いすのおじさん」ではなく、「いつもの車いすのおじさん」に

なればいいんじゃないか、そう考えたんです。

 

さっそく 月の後半頃から、朝の通学見守り隊に参加してみました。

すると子どもたちはすぐに「車いすのおじさん」に慣れてくれて

ハイタッチや、じゃんけんをする毎日になりました。

そして10月の運動会。 見守り隊を終えて8:30頃、そのまま早めに

学校の中に入ると、あちこちの窓から大勢の子どもたちが

「あっ、車いすのおじさんだ」と声をかけてくれたんです。

全員で100 人ぐらいいたかな?まだイスを持って教室を出る前だったんでしょうね。

そのままみんなとじゃんけん大会がはじまって。あれは面白かったなぁ♪

 

そんな風に日々過ごしていると、自然と先生たちとも顔見知りになっていきました。

「金子さん、授業参観はどうなさいますか ?」と聞かれたので

「いや、子どもたちの教室は 階ですから、車いすでは難しいので参加しません」

と答えると、「私たちが持ち上げますよ」と言ってくれたんです。

これには本当に驚きました 。

 

SNS には、車いすの保護者が学校に「授業参観に行きたい」と伝えても

「危険なので難しい」と断られた、という話がありました。

しかし私は、授業参観に参加できました。通学見守り隊を通して、

学校とコミュニケーションを取ってきたからこそだと感じています。

 

今は毎日、店まで車いすをこいで通っているので、もうこの近隣では

さほど珍しい存在ではないかと思います。 それでいいんです。

「いつもの」車いすを漕いでいる人になりましたから。これが私の求めていた社会です。

障害者が珍しくもなく、普通に生活している社会です。

 

中には車いすで外出する時に感じる視線が気になって、

外出したくないという人もいるでしょう。

しかし私はあえて外に出て、自分の存在を地域にアピールする必要を感じています。

人との関わりを持たず、珍しい存在のまま孤立していたら、

きっと自分を取り巻く状況も、まるで別のものだったでしょう。

 

以前、それなりの立場にある教育者に伺ってみたんです。

「障害者について、子どもたちにどう伝えているんですか?」と。

答えは「人ずつ車いすに乗せてみた事があります」と...

車いすはアトラクションじゃない。ただ乗ってみたって、何がわかるというのでしょうか?

教える立場の方が、こんな認識では違う気がするんです。

 

確かに私自身も、障害についての教育を受けた記憶はありません。

車いす生活にならなければ、自分から障害について考える機会もなかった。

だからこそ「子どもたちに何をどう伝えるか」それが大きな鍵を握っていると思います。

 

私と触れ合った地域の子供たちは、 多少なりとも車いすに慣れたはずです。

学校で子どもたちに向けて話もしました。

障害は他にも様々なものがありますが、私と過ごした経験はあの子たちにとって

障害全般に対しての「慣れ」となっただろうと思いますし、

 それこそが必要なんだと思っています。