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2度目の挑戦。


 年が明けて2018年。

この頃はたくさんの人に出会いました。2日に一度は人と会っていました。

ボランティア活動で地域を掃除している人、さまざまな勉強会を開いたり

参加もしている、子育てが終わった年配の女性たち。

その勉強会に参加する人を紹介してもらうと、

その人たちがさらに人を紹介してくれて、つなげてもらって…なんてのも。

 

銀座やニューヨークなどにも支店をもっていた和服店の元経営者の方が

いろいろと力を貸してくださり、大きな材木屋さん、

日本橋で多くの経営者を育ててきた方、福島で米を作っている農家の方、

有名な和食料理人などなど。たくさんの人を紹介してもらいました。

私はFacebookやクラウドファンディングなどで、自分をアピールしてきました。

この頃が一番動いてましたね。今は正反対。ずっと店の中で

人が来るのを待っている状態です。

自分が動けば周りも動く。これを感じました。しかし残念ながら

この人たちは、今は私の周りにはほとんどいなくなってしまっている状態です。

「店の外へ出て、人と会わなければ」と考えています。

 

4月頃、Facebookで知り合った方から

「もう一度、クラウドファンディングをやってみませんか?」と

連絡がありました。クラウドファンディングをサポートする

仕事をされている、渡邉さんという方からでした。

前回のクラウドファンディングは、自分だけで考えた企画でした。

その企画は即 OK となりそのまま進めていったのですが、今回は渡邉さんが

企画段階から何度も文章を確認してくれて、リターンをどうするかとか

さまざまな面で一緒に考え、サポートしていただきながら進められました。

 

渡邉さんが話をするためにわざわざ私の所まで来てくれた時、

もう1人一緒に来てくれた方がいました。

Surf Classic』のリーダー、中谷さんです。

Surf Classic』は障がい者もサーフィンやSUP等の海のスポーツを

楽しめるようにサポート活動を行っています。

渡邉さんはその『Surf Classic』で、ドローンをつかって

画像を撮る仕事もされていました。

 

サポートを受け、月の連休頃にプロジェクトをスタートしましたが

それと並行して、資金集めのため週に何人もの人と会っていました。

私がやりたいお店には、一般的な店舗よりも改装費がかかります。

その資金はクラウドファンディングだけではまかないきれないので

それ以外にも資金集めの必要があったのですが、 銀行も商工会も

1級障害者の挑戦には懐疑的で、いくら説明してもわかってくれません。

車いすの人間が飲食店をやるなど前例がありません。

私がこれをやる理由を話しても、結局「それは売上につながるのか?」

「経営を維持できるのか?」ということなんですね。

私の説明では、そういった懸念材料を払拭できなかったようで

一般的には1,000万借りられるところ、

私にはその78割しか融資がおりませんでした。

 

助成金を得るため、事業計画セミナーに行って勉強したり。

美味しい出汁を得るために、鰹節屋さんに出向いて話をして鰹節を手に入れたり。

旨味の強い鯖を作っている専門店に行って

「どうにか仕入れたい」と頼んで極旨の鯖を手に入れたり。

とにかく動きました。そして銀行の融資が決まり、

助成金も得られることになりました!

 

そんな風に物事を前向きに進めていた、6月のある日。

テナントの契約前日に、物件所有者から「貸せなくなった」と連絡が入りました。

都合が変わって、遠くない将来にその物件を

違う用途で使いたいから、と説明されました。

いくら交渉しても、結局どうにもなりませんでした。

自分が歩けなくなったあの日より大きなショックを受けました。 

加えて、80万近くの損失でした。

 

その4日後、617日(日)晴れ。

この日はSurf Classicの中谷さんと約束していたサーフィンでした。

複雑な思いの中のサーフィン。 この誘いを受けた時は驚きましたよね。

だって、車いすになって海に入れるなんて、考えてもみませんでしたから。

早朝、というより深夜に大きなハイエースで迎えに来てくれて、人ぐらいだったかな ?

私の他に参加する脊髄損傷の女性や、surf classicのメンバーたちを乗せて

楽しく雑談をしながら、時前だったかな。海に着きました。

 

 

海の風、潮の香り。

あの大きなショックを和らげるには、

今思うととてもありがい誘いだったかもしれませんね。

合計 15 人くらいだったか、たくさんの仲間でサーフィン。

脚を切断してしまった人や、耳が聞こえない人も。

さっそくウェットスーツに着替えた私は、サーフボードで足を伸ばして下を向き、

人でボードを持ち上げて、私を海に連れていってくれます。

中には高校生の女の子たちも。 それから手でこいで沖まで進み、

慣れた方が波を選んで一緒に波に乗るんです。

子供の頃から泳げた私は水は怖くなかったので、良い波を選んでもらって

途中から 人で乗せてもらいました。楽しくて、あっという間に夕方に。

仲間の女性がウクレレを片手に波音と一緒に歌い出し、最高の夕波風景でしたね。

 

その時、中谷さんがこんな話をしてくれました。

「車の中でウェットスーツ自分で着たでしょ。車いすだって、やればできるんだよね。

以前ね、家族で参加してくれた人たちがいたんだけど、お子さんに障害があって。

その子にも車の中で着替えてもらったんだ。

その時にね、親も車の中に行こうとしたから

『少し様子を見てもらえませんか?』って止めたんだよ。

時間はかかったかもしれないけど、その子はひとりで着替えられたんだ。

親はびっくりしてたよね。『まさかあの子が 人で着替えられるなんて』って。

その話が、とても印象に残っています。

 

さて、現実に戻ります。

市長や中小企業診断士をはじめ、応援してくれる多くの人たちが慰めてくれましたが

物件が契約できなくなっても、クラウドファンディングは進んでいます。

今回は All in のプロジェクトだったので、目標金額に到達しなくても

支援していただいた金額はすべて入金されます。

ところが物件の目処が立たなくなって、このままでは入金があったところで

店は出せません。これでは応援してくださっている

多くの方々に申し訳が立ちませんし、「店を出す」と言って

お金を集めているのに「出せませんでした」ではすまないです。

このままでは、私は大嘘つきになってしまいます。

 

もちろんそんなつもりはなくても、

「あ、嘘つきがいる」なんて後ろ指を刺されるのも嫌ですし、

第一ここまで多くの人に支えてもらって進めてきた、

「バリアフリーな店を出す」という目標を、物件の目処が立たないくらいで

あきらめるワケにはいかないんです。

ですから私は、とにかく代わりの物件を早く見つけなければと、

必死で何件も見て周りました。

 

物件を選ぶにあたって考えていたのは、

毎日自分で車いすをこいで店にいけるか、です。

毎日ですから、当然雨の日もあるでしょうし、台風が来る日もあるでしょう。

しかし車いすは、傘をさしながらこぐのはキツいんです。

ですから天気の悪い日はタクシーで店に行かなければならない日もあるでしょう。

となると店まで遠ければ運賃もかさみます。

ですから店を出すのであれば、できるだけ自宅から近いに

越したことはない、と考えていました。

 

そして9月。ようやくいまの店の場所を見つけたんです。

ところがそこは、柏市と流山市の境界。

私の計画では、流山市内の商店街でスタートする予定だったため、

応援してくれていた人の多くは、市長をはじめ流山市民の方々がほとんどでした。

だけど仕方ありません。もう場所を選んでいる余裕はありませんでした。

やるしかなかったんです。すぐに契約しました。

 

例えばですが、片方の市にはコロナ対策として 1,000 円支払うと

市が 300 円協力してくれる、そういう制度があるとします。

でも市境に店を持っていると、向かいの店はその制度を活用できるのに、

道をはさんだこちら側の私の店は、自治体が違うのでその制度が使えない…など、

市境をまたいでしまったことで、活用できない制度や助成もありました。

市を中心に動いている人も多いので、私の店は利用してもらえなかったり。

テレビなどで〇〇市特集と紹介されるときも、ちょっと難しくなったり。

最寄駅は流山市で、店舗が立ち並ぶ場所も流山市内。

しかし私の店を含め数店舗だけは柏市にある。

市境をまたいだだけで、紹介してもらう機会に当てはまらなかったり。

 

こんな社会の仕組みを経験しました。

 


【次の記事は2月上旬公開予定です】