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一転、逆戻り。


学校へ通う子どもたちの「おはようおじさん」をやるようになりましたが

それが終われば、あとは特に何もない朝の時間。

夏前には車いすテニスを始めました。教えてくれるテニススクールが

たまたま車で15分ぐらいの場所にあって。ただそれも週に1度。

普段は小学校から近かった、駅前にあるコーヒーショップへよってスマホをいじり。

店の外へ出ると、毎朝駅前で人間観察をしているおじいちゃんと仲良くなり。

私が活動している時間帯に出会う人たちとは顔見知りになりましたが、

「車いすのおにいちゃんがいる」という程度で、まだこの頃は珍しい存在だったと思います。

そんな中で私が考えていのは、仕事のことです。

 

怪我をした直後から、長期休暇扱いにしてもらっていた会社の在籍も

年が過ぎ、「これ以上は ... 」と退社を余儀なくされました。

先が見えない、目の前が真っ暗なまま。そんなイメージです。

でもどうにか先が見えるように「自分に何かできないか?」と思っていました。

 

もちろんハローワークには行きました。

障害者の仕事はいろいろあるんですけど、車いすユーザー向けの仕事は

なかなかありませんでした。車の運転はやめたので、電車通勤で

となるとあの朝の満員電車を車いすで、というのは私には難しいと思っていました。

 

その頃、TVでは子ども食堂の話題が盛り上がっていて

「俺にもできないかなぁ」なんて考えてました。そんな時に連絡がありました。

家に話をしにきてくださった地域包括支援センターの方からでした。

担当しているデイサービスの、ボランティアに参加してもらえないか?と。

私は老人ホームで食事を作った経験があり、お年寄りと話すのには慣れていましたし、

介護食士の資格や経験もあったので、社会復帰の手段として参加することにしたんです。

お年寄りは女性が多く、皆さん元ママ。献立の内容を私が作り、それをお年寄りの

みなさんと一緒に作って食べる。週に一度のイベントとして喜んでいただき、

デイサービスでボランティアをするようになりました。

 

駅前の商店街はシャッターだらけでしたが、友達がここに店を持っていて

そのうちのひとつの店の、大家さんを紹介してくれました。

なんと「どうせここで何もやらないから、超低額で貸してもいい」と!

ここで子ども食堂ができたらいいなぁ!そんな考えが浮かんでいました。

秋になり、電車を1時間乗り継いで「おやこカフェ講習会」に参加しました。

ないものを作り、やりたいことを実現するための力をつけたい、と考えての行動でした。

 

そんな頃、また別の連絡がありました。以前に市役所で紹介された障害者団体のひとつで

年末に集まりがあるから来ないか?と。ならばと私は、車いす仲間と2人で参加してみました。

多くの人は加齢や病気などによって、何かの障害を負ってから死に至るものです。

だからなのか障害者団体って高齢の方が多いように私は思うのですが、参加した集まりもそれでした。

私たち2人以外は皆さん高齢で、車いすも私たちだけ…。

 

でも、そこに出会いがありました。

その集まりに、市長が挨拶をしにいらっしゃっていたんです。

短い時間でしたが、直接話をさせてもらいました。

その後Facebookで市長に「今日お話をした車いすの金子です」とメッサージを添えて

友達申請をさせていただくと、承認してしてくださって。

私は「事故で車いす生活になってとても悩みが多いのに、どこで相談をすれば良いのかわからない」と

自分の実情を伝えました。すると市長が返信をしてくださったんです。

人や場所をを紹介してくださって、その後の私に力を与えていただきました。

 

退院後も3ヶ月に一度は病院に通っていました。

妻の運転で病院に向かう車の中、電話がありました。

怪我をするまで勤めていた会社の元上司からでした。

「調子はどうだ?」どうやらその上司は転職し別の会社に勤めているそうで、こう続きました。

「経験があるんだからメニュー作りや発注はできるだろ?ウチで仕事してみないか」

目頭が熱くなりました。「前を向いて進んでいると、良いことがあるんだね」と

妻と車の中で話したのをよく覚えています。

厨房に入らない事務仕事でしたが、とにかく私はそうして仕事を手に入れました。

怪我をして1年半経った2017年の1月でした。

 

しかしそれは同時に、新たなバリアに直面するきっかけでもありました。

通勤です。公共交通機関を利用した通勤。

車の運転をやめていた私にとって、いかに公共交通機関を利用した

車いすでの通勤が大変か、それを痛感させられました。

自宅から勤務地までは電車と路線バスを乗り継いで1時間ほど。

しかも利用する駅には、エレベーターがありませんでした。

仕方がないので、駅員さんがエスカレーターを逆走させて

そこに車いすの私を乗せ、ホームまで降ろしてもらうのですが

それが通勤ラッシュの中、私ひとりのために行われます。

その間、何百人という人がエスカレーターを使えず、階段を脚で登ってきます。

逆走するエスカレーターに乗っている時、私は正面を向けませんでした。とても嫌でした。

私ひとりのためにエスカレーターが止まる状況に、 どうしても申し訳なさを感じてしまっていました。

 

バスも混雑していると乗りづらかったです。

私が乗るには運転手さんがスロープを出し、私を乗せて車いすを固定し

スロープを片付けてから発車しなければならない。

その間、その作業が終わるのをたくさんの乗客が 待っているわけです。

だからそんな申し訳なさ、居心地の悪さを感じないで済むように、

混雑するバスを何台も見送って、空いてるバスを 時間以上待ったこともありました。

 

どちらも私にとって、車いすで外出する人にとっては必要なことです。

当たり前に受けていいサービスなのかもしれない。

けれど私にとっては、やはりなんとも複雑な気持ちを感じさせるものでした。

歩ける人なら立っていられるだけのスペースがあれば、来たバスが混んでいても乗りますよね?

だけど車いすの私は、今もそういうバスに乗る勇気はありません。

 

「おはようおじさん」や、授業参観、ボランティア、朝の時間。

自分の行動範囲の中では、さまざまな形でいろいろな人たちと関わってきた結果、

「金子淳一郎」というひとりの人として見てもらえるようになりました。

でも一歩そこから出てみると、結局まだまだ「車いすの人」というのは珍しい存在だし、

人の目を引いたり、居心地の悪さを感じる場面はいくらでもありました。

 

先日、知り合いと数人で電車に乗ったんです。

大きな駅での乗り換え、初めての駅だったのでエレベーターがどこにあるのかわからない。

とりあえず進んでみた先には階段しかなくて、車いすはもちろんそれ以上進めない。

まるで迷路です。

ようやくエレベーターを見つけても、人がたくさん乗っていて車いすが乗るのは難しかったり。

ベビーカーを押して外出した経験のある方にならわかりやすいかもしれませんが、

一緒にいた知り合いたちは、私のような車いすユーザーの置かれた実情を目の当たりにして、

とてもビックリしていました。


【次の記事は11月初旬公開予定です】