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gente vol.018 Interview:

おにっち(鬼頭良平)さん  (株)ウェルカム 調理師:軽度知的障害


仕事って、楽しくやっていいんだなって

今に感謝して、ともに楽しく働きたい。

「あなたが『噂の』おにっちさんですか?」と声をかけられることが多いという、鬼頭良平さん。周りの方から親しみを込めて「おにっち」と呼ばれている彼は、社内で唯一ヘルプカードを身につけてお客様の前に立ち、仕事をしています。
おにっちさんがなぜ『噂の』なのかといえば、その理由のひとつは彼が社内で一番「ありがとう」を伝える人だから、だそうです。役職やお互いの関係性にとらわれず、誰に対してもそれがいいと思えば社内SNSで「ありがとう」を伝えてきたおにっちさん。年間で最も多くのサンクスカードを送った人として、社内では皆が知る存在となりました。

軽度知的障害の特性ゆえに、おにっちさんは常に自分がいい、正しいと思う方にまっすぐ進んでいきます。それは時に周りの人との衝突を生んだり、しなくてもいい我慢をしてしまったりと、うまくいかないことも少なくなかったようですが、現在は周りの人の理解を得られる環境で、充実した日々を送っています。「みんなに出会って感じたことを、伝えていきたいんです」というおにっちさんにお話を伺いました。

※写真撮影時以外はお互いにマスク着用の上、充分な感染防止対策をとり取材実施いたしました。

 

がんばりすぎてしまうから


 ※おにっちさんらしさが損なわれないよう、必要最小限の編集にとどめています。

 

g:まずは(株)ウェルカムでの仕事について教えてください。入社のきっかけはどういう経緯で?
お:ハンズオンの人が、マックさん(※1)に僕のことを話してくれたみたいなんです。
g:NPO法人ハンズオン東京の運営するキッチンカーにいた時ですね。
お:はい。それで僕の話を聞いたマックさんが「特例子会社じゃなくて、ともに楽しく働ける現場を作りたいから、協力してくれないか」ってことで、約束して入って。(株)ウェルカムの現場で障害者がともに働くことは初めてだったんですけど、最初は広尾の店で鈴木シェフっていう人に仕込まれて。丁寧に美しくを心がける仕事を教えてもらって、それで「この人についていきたいな」って言ったら 「ごめん異動しちゃうんだ」ってなって。そこで(自分も)六本木に異動になりました。
g:仕事ははじめから順調だったんですか?
お:うまくいかない時も。コミュニケーションの部分では苦戦したり、 年上の方に更衣室で「なめてんじゃねえ」って怒られたり。
g:それは何が原因で?
お:覚えてないですけど、会社が目指している丁寧にやる仕事、衛生(管理)のことに対して「余計なことまで言いすぎてる」ってみんなよく言うんですけど、その余計な分がわかんなくて、結果言い過ぎちゃったみたいで、それで怒られる。
g:加減がわからず、摩擦が起きてしまうと。
お:最初はうまくいかなかったです。鈴木シェフと、店舗のマネージャーで福島さんていう方がとても親身になって接してくれて、いろいろと相談とかも乗ってくれて、改善策も導いてくれて、一緒に解決していくっていうことをやってくれました。「おにっちは知的障害があってこういうことが苦手だから」ってリーダーに伝えてくれて、リーダーが「あ、おにっちこういう人なんだ」っていうのを、他のアルバイトさんに伝えてくれて「おにっちこういうこと苦手だから、ちょっと気をつけてみて」とか言ってくれて。
g:おにっちさんの特性を周りが把握できてからは、働きやすくなったんですね。
お:そうですね、うまくいきました。あと、六本木に行った時も、人事の方が「おにっちはこんな人で、こういうことをやった方がわかりやすい」みたいな体制を、僕は内容知らないんですけど、六本木のメンバー全員に面談して話してくれて。
g:引き継いでくれたんですね。その内容は知らない、との話ですが、自分ではどういう特性があると考えているんですか?
お:言われたことを真面目に、「おにっちバカ真面目すぎるんだよ」ってよく言われるんです。(肉の) スジ取る時は赤身つかないようにとか、 なるべくロスを少ないようにするために、綺麗に1本でシューっと取る、 初めての人はちょっとずつやるから、お肉は全部ボロボロになっていくっていう。「こうやればうまくいきますよ」とかいうのを、受け入れられる人と受けられない人がいる、みたいな。
g:人の仕事が気になって、つい口を出して言い過ぎてしまい、摩擦が起きてしまうと。
お:はい、しょっちゅうありましたね。知的障害者って調べたら、なんか集中力が欠けるとか、あちこち見てしまう。あと、テンパっちゃうと口が荒い言い方になってしまう。
 
g:そういう特性を、一緒に働く人は事前に把握して、受け入れているんですね。
お:そうですね、伝わるように伝えることを意識して「僕から言えないです」ってシェフにお願いしたり。シェフも言えないことがあったら「おにっち言って」って。「衛生大臣よろしく」とか。いや、俺大臣…
g:(笑)。おにっちさんが言った方が許される、みたいな?
お:でも率先的に衛生(管理)とか取り組んでたら店の評価点数が、100点までいかないんですけど、なんか 90点取ったりして「おにっちのおかげで取れたよ」って言われて、みんなの協力があったから取れたんで。直接言ったり、会社内のSNSにあげたり、サンクスカードあげたりして、なんか徐々に協力してくれる方が増えてきたって。
g:「バカ真面目に」取り組んで来た甲斐がありましたね。
お:母親にも「お前は常に100%じゃなくて、120%力を常に出しすぎるから、すぐ疲れちゃうんだよ。ちょっとは加減しなさい」って言われたけど、「あんたは加減できないもんね。5日間頑張って2日間しっかり休みなさい」って。
g:特性的に手を抜けない性分なんですね。
お:誰かのためにやれば、必ず返ってくる喜びもうれしさもあるから。
(※1)株式会社ウェルカム代表、横川正紀氏

note:軽度知的障害
読み書きや計算など知的発達に明らかな遅滞があり、環境や人間関係の対応に制約を伴います。生まれつきIQが低いケースや脳の異常、周産期のダメージにより脳の成長が阻害される、生育過程によって発生するケースなど原因はさまざまです。軽度の場合は日常生活に支障ないことが多く、集団参加もできます。

わからず、気にもせず


g:小学校は通常学級だったそうですね。
お:小学校は通常学級に通ってて、ずっと授業中わかんなくて寝てたっていう記憶しか。で、 3年生の時に引っ越して、なんか転入生って特別じゃないけど、新しい目で見られるから、勉強はできない、ずっと寝てる、いじめにあうっていうことを経験して。
g:学校には馴染めなかった、友達は?
お:できなくて、職員室か保健室か、図工室か、校長室で給食を食ってたっていう記憶しかないですね。小学校の図工の先生がかまってくれて、勉強教えてくれなかったけど、なんか作る楽しさを教えてくれて、うん、小学校時代はそんな感じ。
g:それでも学校には行っていたんですね。辛くなかったですか?
お:しんどかったです。でも俺が6年の頃に3年生に妹がいたから、お兄ちゃんが頑張んなさいって感じで。
g:それは誰に言われたんですか?
お:誰に言われたか、覚えてないですね。
g:お兄ちゃんなんだから頑張れって。
お:その時障害の検査受けてたけど、まだその時は手帳とれず。ずっとちっちゃい頃から障害、わかんなかったです。
g:まだ知的障害とはわかってなかった?
お:なんか赤羽にある障害者の、お料理作ったり、勉強したりっていう所に通ってたみたいなんですけど。
g:手帳は取れなくても、ご両親には思うところもあったんでしょうね(※2)中学校でも勉強にはついていけず、でしたか?
お:そうです。中学は特別支援学級で、やっぱり先輩とのコミュニケーションがうまくいかない。一年生の時から喧嘩したり。小学校でいじめられてたから、人と人との関係がわかんなくて、逆にいじめてたりして。それで「いじめってこんな辛いものなんだ」って知って。やる方も、受ける方も。
g:障害がわかったのは、いつですか?
お:社会人です(※3)。高校を卒業する前、就職する間にもう1回検査。子ども用の検査はもう何度もやりましたよって伝えたら、成人用をやってみようかって。成人用で判定受けて「あ、知的障害だったんだ」って。
(※2)ご両親によると保育園時に知的発達遅滞の診断を受け、療育教室に通ったそうです。小学校就学時は特別支援学級を勧められています。
(※3)おにっちさん本人に認識はありませんでしたが、幼少期に判明していました。ご両親によると検査での判定が難しく、手帳取得を18歳まで待つ必要があったそうです。

一般就労を目指して


g:高校は特別支援校ですよね。
お:区の作業所も見学と体験させてもらって、作業所はこういう仕事するんだよって。ちょっとお給料は安いけどこんな感じなんだよっていうのを目の当たりにして、一般就労、障害者雇用頑張ってみようってことで、養護学校(※4)行った感じです。
g:進学して一般就労を目指したいと思ったんですね。学校生活はいかがでしたか?
お:学校が楽しくて、1年生から親の知り合いのところで、ボランティアアルバイトを特別にさせてもらって、そこでコーヒー入れとか、接客とかをやらせてもらって。そこで持った知識で、1年生の学園祭で、1年生は飲み物担当ってなって、たまたま課題研究でコーヒーについて学びに行って、「じゃあ学園祭でコーヒーやろうよ」って言って、ハンドドリップやって、1杯100円で。それがすごい文化祭の大人気になったっていうのがあって、妹も「こんな楽しく仕事してるんだ」っていうのを見てて。
g:ボラバイトや文化祭での体験が、飲食や接客が楽しいと感じた原点なんですね。
お:そうですね、原点でした。都市園芸科っていう一般就労を目指す学科で。1年生の時はトマトとかキュウリとか野菜を作ったりっていう授業で。2年生の時は陶芸とか、盆栽とか。3年生になったら食品。味噌を作ったりとかソーセージを作ったりとかなんか、食品を加工したものを作る授業とか。
g:野菜作りなどの授業は楽しかったですか?農業などの進路も考えましたか? 
お:楽しかったですね。トマト持って帰る時「ジュースにすんなよ」って言われた意味が全然理解できなくて、家に着いたらこれがジュースだったのかって。
g:それはどういうこと?
お:満員電車で潰されて。
g:トマトが潰れてジュースになっちゃった(笑)。気をつけなよって言われてたのに。
お:それ恒例らしくて、知的障害者の(笑)。
(※4)おにっちさんの通学していた当時は「養護学校」という呼称でした。

【おにっちさんが特性的に苦手なこと】
□曖昧な言葉が苦手
□長い話が苦手(結論から短めに話してほしい)
□集中力がもたない・気が散りやすい
□計算が苦手

【ヘルプカード見てください】

おにっちさんが身につけているヘルプカード。裏面に「あいまいな言葉が苦手」「指示は結論を明確に短く出して欲しい」「計算が苦手」など、苦手なことや求める配慮が書かれています。

言われるがまま、辛抱の日々


g:その経験がもとで、飲食の仕事に就きたいと思うようになったんですね。

 

お:机に向かって寝てたので、事務は絶対向かないんだろうなって。3年生の時に、社員食堂に(実習に)行かしてもらって、そこでお客様からいっぱいクレームもらっちゃって、そこで働けなくなってしまって。で、3年生の後期の3週間、別の社員食堂に実習に行って、もうそこしか選択肢はないんだって、勝手に思い込んでて。
g:それで実習を頑張り、そこに就職できた。
お:(入社して)現場入ったらサポートもない状態で、一般の人と同じ仕事やらされて。「こんなの早くやるんだよ!」「なんでそんなのできないんだよ」って言われながら。今なら「こういう特性があるから、こういうことなんですよ」って言えるけど、その頃は自分の障害の特性を話すことはできなかったです。ウェルカムに入るまで、ともに理解してやろうっていう人はいなかった。ウェルカムに入ってやっと理解されて、一緒にやろうっていう人が現れてくれたって感じ。
g:手帳が取れたばかりで、まだ自分から特性を説明できなかったんですね。
お:先生からは「後輩のためにも続けてくれよ」って言われたり。そういうこともあるんだと思って。先生から「障害者雇用で就職したら簡単にやめちゃダメだよ、石の上にも三年だから」って。それをやれば周りも見えてきて、徐々に働きやすくなるからって。
g:障害についての理解もなく、苦労も多かったんじゃないですか?
お:配慮がない、理解をしてもらえない。パソコンとか事務は苦手ですって一応話してたけど、事務の打ち込む作業とかもあったりして、あとは働く時間が変わるのは苦手っていうことは、あの時間差で。
g:早番/遅番のようなシフトが頻繁に変わるのは苦手です、と伝えてあったのに。
お:そう。けど人がいないから、しかもお前は社員なんだから出てくれ、出ろって言われて、偶数月に7時半出勤で、奇数月に9時出勤ってなって、その差がすごくて、必ず偶数の月は寝坊してて。それでビクビクしながら働いてた感じで。「お前は社員なんだから、障害者も関係ねえ、衛生管理も全部やれよ」って言われて。それが当たり前なんだって。で、親に相談したら「それはちょっと違うよ」って。あとは夕飯とかの料理を、ランチの残りでお前作れよって言われて、作ってて。シェフには「原価気にしなくていいから、アレンジして提供しろ」って言われて。でも下のシェフからは「値段気にしろ、原価わかれよ」って言われて、その計算もわかんないし、原価自体もわからない。
g:計算は苦手だからそう言われても困りますよね。でも、理解してもらえなかった。
お:発注を全部任されたり。「個」と「キロ」を間違えちゃって、お前なんでこんな簡単なミスすんだよって感じ。
g:もう少し配慮してください、障害を理解してください、と訴えなかったんですか?
お:言っちゃいけないと思ってた。クビになるのかなと思って。あんまり自分から発信しちゃいけないのかなって。
g:我慢していたんですね。
お:先生にも三年我慢すればって。
g:「石の上にも三年」には、「頑張れ」と「我慢」の意味があるんだと思ってたんですね?
お:そう思って、ロボット化して働きました。
g:ただ、最終的には転職しましたよね。
お:なんか改修工事で食堂がなくなるっていう話になって、あと調理師免許。7回ぐらいチャレンジしたけど全く受かんないから、親が「学校行ってみれば」って。いろんな機会の巡り合わせで、10年目の節目の年に。
g:「石の上にも三年」が、10年も。
お:しんどかったですね。障害者雇用難しいっていうのは学校でも習ってたし、卒業してからも聞いてたので、他のやつらもみんな辞めて仕事転々としてるって。再就職が難しいぞって言われてたから、簡単に辞めちゃいけねえんだなと。
g:「辞めるわけにはいかない」と思い込んでいたんですね。

仕事はともに、楽しくできる


g:調理師免許取得後に、縁があってキッチンカーで働くことになったんですよね。
お:「facebookで調理師免許取ったってアップしてたよ」ってなって、紹介で。キッチンカーで障害を知ってもらう、働くをテーマにしたやつで、協力してくれない?って言われて。なんかいい機会かなと思って。障害を知ってもらうためには、どういう行動した方がいいのかな、何のためにキッチンカーで障害者を雇ってやるのかっていうのが決まってなかったから、「こうした方がいいんじゃないですか」って提案したり。
 
g:おにっちさん自身も「障害について知ってほしい」と発信していますよね。それはキッチンカーがきっかけで?
お:その前からなんか「飲食ってこんな辛い現場ばかりなのかな」とか、どの店も辛かったから(※5)、理解してもらえないのか、理解してもらうにはどうしたらいいのって。そしたらたまたまスペシャルオリンピックスに出会い、高校の同級生のお父さんの紹介で。「あ、こうやって知ってもらう機会もあるんだ」って。スペシャルオリンピックスのイベントで鶴田さん(※6)に知り合って、ファッションショーに行って、いろんな障害の方とか、健常者がこんな一緒に楽しくやれんだって現場を目の当たりにしたから。それが楽しかった。仕事って楽しくやっていいんだって。
g:いろいろな人と関わって、障害の有無は関係なく一緒に働けると感じたんですね。
お:(それまでの職場では)障害が理解されなかったから、キッチンカーではともに理解できる人と、楽しく志ざしてやれること、やってみようって思った時期と一緒に、有森さん(※7)が障害者とともに生きていく社会を作ろうと掲げたのが、ちょうどタイミングがかぶって同じ考えのマックさんと知り合い、その他にも鶴田さんもいるし、なんかすごい囲まれて幸せだなって。この幸せを僕だけ感じてていいんだろうかって。みんなに出会って感じたことで、それを今後他の人たちにも、未来ある子供たちにも伝えていけたらなと思って、感謝して、みんなで一緒に作っていくことができたらなっていうのは、今ある感じ。志ざしていれば、ちゃんとできるよって。
g:おにっちさんの志は、みんなが一緒に楽しく働ける場所を増やすことなんですね。
お:あ、ミーフレーズ。「障害がある人ない人ともに楽しく志して働ける社会作り」です。
 

良くも悪くも、人の言葉に影響を受けやすいおにっちさん。言った側に他意はなくとも、それによってしなくてもいい我慢や遠回りをしてきました。しかしおにっちさんはその経験を無駄にせず、自分がいいと感じる方に向かってまっすぐ進んできたからこそ今があります。いい考えを人から吸収して、周囲に還元しているおにっちさん。「障害者が働きやすいってことは、みんなが働きやすいってことだと思う」と語る彼は、「ともに働ける社会」を見据えて今日も一生懸命、自分の仕事をしています。
(※5)調理師免許取得後に2社ほど勤めましたが、いずれも障害への理解は得られない職場だったそうです。
(※6)ファッションブランド「tenbo」デザイナー、鶴田能史氏
(※7)(公財)スペシャルオリンピックス日本理事長、有森裕子氏
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