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gente vol.017 Interview:

山口 タケシさん アクセンチュア株式会社 総務部勤務/NPO法人インフォメーションギャップバスター理事:中途失聴(突発性難聴)


音を失って、あらたに知った世界と文化

失ったキャリアの先で、知らずにいた世界と出会う

 

「ライブハウスでMVの撮影中、だんだん音が遠くなっていったんです、ボリュームを下げるように。てっきりスピーカーが故障したのかなと思ったんだけど、すぐ隣でドラマーが叩いてる生の音が聞こえてない。これはやばい、やっちまったと思って。サーっと血の気が引きましたね。」コンサート中のアクシデントで右耳の聴力を失ってからも、プロのベーシストとして大きなステージで活躍してきた山口さん。ところが何の予兆もなく、残された左耳の聴力とそのキャリアを同時に失ってしまいました。
曰く「会社勤めの経験がゼロで耳が聞こえない50のおっさん」となってしまった山口さん。現在はアクセンチュア株式会社で聞こえる人とともに働く傍ら、「声を出して話せるけど聞こえない中途失聴者」として講演活動や情報格差の解消などにも精力的に取り組んでいます。

両耳の失聴を機に、人生の舵を大きく切らざるを得なかった山口さん。その先で知った「聞こえない世界」で得た気づきや、聞こえる人と聞こえない人がお互いにどう関わっていけるのか。どちらの世界も知る山口さんに、お話を伺いました。

突然、音を失って


山口さんは聞こえなくなった今でも流暢に発話できますので、今回は編集部の発言をUDトークでテキスト変換し、音声会話形式でインタビューしました。

 

g:まずはじめに29 歳の時、右耳の聴力を失ってしまったんですよね。

 
山口:西城秀樹さんの野外コンサートで、特殊効果の大きな音がなった瞬間、耳がキーンとなって。他のメンバーは徐々にそれが収まっていったんだけど、私はそのまま。耳鳴りが今もなっていて、聞こえないまになってしまって。
 
g:まさかずっと聴力が戻らないとは、思ってもみなかったでしょうね。
 
山口:そうですね。コンサートが終わってすぐ、近くの救急病院で突発性難聴と診断されて。いろいろ治療はしましたが治らず、「これ以上は無理ですね」って言われて。
 
g:右耳が聞こえなくなってしまって、もちろん演奏や生活にも影響がありますよね。
 
山口:ありました。レコーディングでステレオ感がわからないんですよ、音の方向感覚がわからない。それ以上に生活の方が支障あって、エレベーターの中で誰かが「今日暑いよね」と言ったのを、てっきり友達だと思って「そうだね」って返事したら知らない人だったり。あとは歩いている時に車が近づいてきたり、自転車のベルの音。来るのはわかるんだけど、その方向がどこかわかんなくてヒヤッとしたり。
 
g:右耳の失聴によって、生活がガラッとわってしまったんですね。
 
山口:ガラッと、ていうほどでもないんですよね。ちょっとずつ不便さを感じるっていうか、左耳は聞こえてても「何ですか?」と聞き返すことが多くなって。できていたことができなくなった不便さは、最初はよく感じていました。不便さはあるんですけど、何年か経つとある程度は慣れましたね。
 
g:不便な状態にも慣れ、20年近く片耳でミュージシャンとしてのキャリアを続行されて。それが2007 年、49 歳の時にMVの撮影中、突然左耳も失聴されてしまった。
 
山口:すぐに近くの大学病院に1週間か10日ぐらい入院して、いろいろ治療してちょっとは聴力回復したんですよね。でも退院後に真っ先に家に帰ってCD 聞いたら、もう深夜のテレビみたいなザーってホワイトノイズにしか聞こえなくて。「これはもう無理だ」って、現実を突きつけられた感じでした。
 
g:今はどのくらい聞こえているんですか?
 
山口:大雑把に言えば、補聴器をすれば音はわかるけどその内容がわからない。少しでも聞こえることで、例えば救急車が近づいてきた、車が後ろに迫ってきた、とか危険を察知できるのは助かるんですけど、補器だけで会話するのは難しいですね。ボリュームを上げて相手の話し方や滑舌、声質、周りの静けさとかいろんな要素がうまく合えば、なんとか聞き取れます。今はUDトークなどの音声認識ツールで聞き取れなかった部分を文字で確認するとか、逆に文字で誤変換があった部分を入ってきた音で補う、ていう感じですね。
 
g:今も耳鳴りはあるんですよね?耳鳴りで外からの音が遮断されてしまいませんか?
 
山口:私の場合は、右耳が聞こえなくなった時になり始めた耳鳴りが数種類。左が聞こえなくなった時からまた別の耳鳴りが数種類。常に頭の中のいろんな場所でキーンとかシャーとかザーとかゴーとか鳴ってるんですね。で、それが入ってきた音をマスキングする場合もあるし、「どっちの音だろう?」って区別がつかない場合もあるんですよね。あとは入ってくる音が全部歪んでるんで、人の声も割れて聞こえてくる。それが耳鳴りと一緒になってガシャガシャガシャっと聞こえてきちゃうし、外から入ってくる音耳鳴りが混じっちゃう場合もあります。相手の話し方やスピード、環境によっては聞き取れますけど、同時に複数の人が話し出すと途端にわかんなくなっちゃいますね。

※写真撮影時以外はお互いにマスク着用の上、充分な感染防止対策をとり取材実施いたしました。

 


note:突発性難聴

文字通り、突然片方の耳の聞こえが悪くなる疾患です。原因は明らかになっておらず、ごくまれに両耳同時に発症するケースもあります。ステロイド薬の投与などの治療により完治する人の割合は3分の1、ある程度改善する人、聴力の改善が見られない人の割合もそれぞれ3分の1ずつとされています。

勤務経験ゼロの求職

g:30年近いミュージシャンとしてのキャリアを続けられなくなって、気持ちの整理もつかなかったのではありませんか?
 
山口:人によるんでしょうけど、私の場合はもうすぐに聞こえなくなった現実を受け止めて、生活するためには仕事が必要、それをどうしようか?って真っ先に考えました。私は大学在学中からミュージシャンとして仕事をはじめたので、「勤務経験がゼロで耳が聞こえない50のおっさん」ですから。いや困ったな、どうしようって思いながら毎日、新聞の折り込みチラシで求職情報を見てましたね。まず、とにかく人と会話をしなくて済む仕事ばっかりを目が勝手に探してるんですね。作業が1 人で済むようなものばっかり、ついつい探してました。
 
g:実際にそのチラシを見て面接に行かれたりもしたんですか?
山口:いや、それが結果としては一度も。見るばっかりで。「あ、これだったらいけるかな」と思っても、結局電話で連絡しなきゃいけない。あるいは実際そこに行って「聞こえないんです」と切り出すのを考えるだけで躊躇しちゃう。なので結局。
g:ハローワークで障害者雇用枠を調べたり、応募したりなどは?
山口:それもしてなかったんですよね。ローワークって所は知っていても、そこに行けばいいんだ、って結びつかないんですよ。
 
g:自分の思いつく方法だけで、聞こえなくてもできる仕事を探されていたんですね。
 
山口:そうです。で、そういうのを続けているうちに、障害者の就職をサポートをする会社があるって知って、思い切って登録したんです。そこで「合同面接会に行ってみませんか」と勧められて。障害者枠で採用募集している企業が40数社集まるので、わらにもすがる思いでまずは行ってみようと。結局その1日で国内外の企業7 社と面接して、3 社内定をいただきました。その3 社はいずれも外資系企業だったんですけど。
 

g:ミュージシャン時代に身に付けた英語が、身を救ってくれたんですね。

ミュージシャン時代にはベーステクニックの解説書や教則本を何冊も執筆し、外国語の翻訳本まで出版されるほど。その実力で数多くの有名ミュージシャンとの共演実績を誇る、一流プレイヤーでした。

 

新しい世界に気づいて


g:突然聴力を失って、コミュニケーションには相当困ったんじゃないですか?
山口:最初は筆談ばっかりでした。両耳聞こえなくなった最初の頃は、補聴器もしてなかったんです。補聴器は知ってても、それを使うって結びつかないんですよ、自分の中で。で、病院で「補聴器いかがですか」って言われて「そういう選択肢があるんだ」と。で、試しにつけたらやっぱり聞こえるんですよね。これは便利だと。補聴器を使ってリアルタイムでやりとりした方が筆談より圧倒的に楽ですし、テンポ感も早くて。
g:その頃はまだスマートフォンも普及していませんでしたし、紙とペンの筆談は手間もかかりますよね。そのためコミュニケーションを避けてしまうようなことは?
山口:その通りで「めんどくさいな」と思っちゃうんですよね。だから必要な時以外、人との会話を避けちゃう時期はありました。

聞こえない人との接点が、なかったんです

g:それが補聴器によって、残存聴力を活用できるようになったんですよね?ならば必ずしも手話は必要なかったようにも思いますが、手話はどんなきっかけで?

 
山口: 手話に興味はあったんですけど、筆談とか補聴器を使って残存聴力に頼ることしか考えていなくて、最初の頃はまさか自分が手話を使うって、考えもつかなかったんです。最初に就職した会社では見える範に聴覚障害者は私だけで、まだ聞こえない方との接点もなくて。ただ人生初めての会社員生活で、頑張りすぎちゃったせいで聴力が落ちてきちゃって。そこで「もう少しリラックスできる職場環境が必要だ」と考えてアクセンチュアに転職したんですが、私が配属されたチームにろうの方(※1)が何人もいて。その人たちは手話で会話してるわけですよ、普通に。それで「ああ、手話」って。確かに仕事や生活の上で、手話を覚えなければならないわけでもなかったんですよね。ただ、ろうの方々と知りあって交流る場が増えるにつれて、ダイレクトに会話をしたいっていう、それに尽きますね。それは手話とか障害に関わらず、例えば日本語以外の言語圏の人と仲良くなって対話したい時も、日本語が通じなければこっちが歩みよって、英語なりを使ってコミュニケーションする、っていうのと同じような感覚です。
 
g:転職によって、はじめて自分と同じ聞こえない世界に生きる人たちと出会った。そしてろう者が持っている手話という伝達手段を使えば会話できるのに、自分にはできない。その当時はある意味、どっちつかずなポジションになってしまっていたんですね。
 
山口:その通りです。 ほんとに中途半端な存在なんですよね。私は中途失聴なので、こうやって声で自分の意思を伝えられます。喋れちゃうので、ついつい相手の方は私が聞こえないのを忘れて、普通に話しかけられてしまう。有名なろうの役者さんで声を出せる方が「声なんか、喋れなければよかった」っておっしゃる方もいて、 その気持ちもすごくわかります。ただ相手がろうの方だと、こっちが言いたいことが伝えられないじゃないですか。そうするとそれこそ筆談だったり、PCでのチャットになってしまう。でもろうの人同士は仕事の合間の雑談にしても何にしても、手話で普通に会話してるわけです。そこに自分は加われない、そのもどかしさですよ。ろうの方とコミュニケーションを取るためには、自分も声を使わず手話でちゃんと伝えられるっていう、そういう必然があったように思いますね。
 
g:とはいえ日本語と手話は文法も違いますし(※2)、簡単ではないですよね。日本語と手話の違いに戸惑いませんでしたか?
 
山口:それはなかったです、違うのが当たり前ですから。で、手話を知れば知るほど英語に似てると思うんですよね。日本語と英語の違いに似たようなものが、手話にもあるんです。たまたま先に英語を身に付けていたので、手話を身に付けるのも敷居が低かったっていうか。だから手話を覚えていく段階で、日本語との違いに困難はあまり感じませんでした。英語との共通点が多くて、「そういうもんだよね」と自然に受け入れやすかったんですね。
 
g:英語を覚えた経験から、手話を身に付ける素地が培われていたんですね。
 
山口:言葉の違いでいうと、日本語の婉曲的な表現に比べ、英語や手話はもっとストレートな表現なんです。それはろう文化(※別項参照)から来るものだと思うんですけど、それを知らないと「なんかきつい言い方だな」と思ってしまう。仕方ないんですけど、それで聞こえる人が手話を学ぶ時に混乱したり勘違いしたり、もっとひどい場合は相手の人間性に対して誤解しちゃうこともあるんです。私の場合は、それはもう言語としてそういうもんだと受け入れやすかった、っていうのはありますね。
 
g:確かに「ちょっと表現がきついな」と感じる場面もありますよね。言葉の違いを知るのも大切ですし、日本語が不得意なろう者がいる、というのがなかなかわかりにくいと思うんですよね。日本に生まれて周りに日本語があふれているのになぜ?と。
 
山口:その通りで、手話を母語として生まれ育った方にとって日本語は第二言語で、日本人が他の言語を勉強して身につけるのと同じようなものだって、わからない方が多いんです。わかんなくて当然なんですけど。それを知ってもらうのがまず第一で、知らないうちは「違う言語間のコミュニケーション」と気づかず誤解があるのは仕方がないんです。だから当事者からもっとアピールが必要なんだけど、なかなかそれをうまく伝えられる方も少なくて。なので私は両方の世界を知る立場として、それをアピールしていかなきゃなって。大袈裟に言えば使命感みたいなものも持ってますね。

※1.genteでは聴力の医学的基準や障害等級に関わらず、手話を第一言語とする人を「ろう」または「ろう者」としています。

※2.手話(日本手話)は日本語とは異なる文法を持った独自の言語です。日本語の文法にハンドサインをあてはめた「日本語対応手話」もありますが、文法の違いからろう者には伝わりにくいこともあります。

 

どちらの世界も知っているから、伝えていきたい

 

g:手話を身につけて、お互いの立場がわかるようになったんですね。

 
山口:中途失聴者として、両方の世界を知ってるのを強みとしていきたいなって思います。聞こえない世界を聞こえる世界の人たちがわかんなくて当たり前。その逆も当たり前で、じゃあどうしたらお互いにうまく共存できるのか。歩み寄れば住みやすくなると思うんです。「障害があるから助けなきゃ」とか福祉的なことじゃなくて、その人にできないことを自分ができるんだったらしてあげる、 そういうことだと思うんですよね。
 
g:手話を身に付けて新しい世界に触れたのは、大きなターニングポイントでしたね。
 
山口:まさしくそうです。ろう文化があることすら知らなかったけど、言語が違えば文化も違って、ろう文化独自のマナーがあるとか、それまで見えてなかったものを見ることができたのは、人生で大きな変化でもあるしプラスでした。ろうの世界を知ったのは、今や自分の財産でもあると思ってます。
 
聞こえる人が道で車を見れば、頭の中に浮かぶのは「車」という文字や音です。しかし手話を第一言語として育った人の頭に浮かぶのは、「車」を意味する手話のサインです。はじめに覚えた言葉が手話だからこそ、それが当たり前なのです。
音楽を生業としてきた山口さんが、音を失ってはじめて「財産」とまで言い切れる新しい世界に触れたのは、なんとも皮肉なようにも思えます。ですが聞こえる世界と聞こえない世界をどちらも知り、日本語と英語、そして手話のトリリンガルとなったからこそ違う文化を持つ者同士を繋ぐ架け橋として、山口さんが伝えられるものがあります。今はお互いの違いが理解できていなくても、知れば歩み寄れます。すぐそばにいるはずの、自分と違う人に気づきさえすれば。
 
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「ろう文化」ってなんですか?

手話を第一言語とし視覚触覚が基本となるろう者は、必然的に聞こえる人と違う生活文化を持っています。それがろう文化です。
例えば視界の外から人を呼ぶのに机を叩いたり床を踏みならし、音ではなく振動で相手に伝えます。また、聞こえる人同士の会話なら相手を指差すのは失礼にあたりますが、ろう者の間では会話の相手を明確にするため必要な動作です。


「山口さんからひと言」

相手の視点に立って、ちょっと想像力を働かせてくれたら。

「私が聞こえないと知っている所では、マスクで口元が見えないと困るだろうとフェイスシールドを用意してくれたり、聞き取りやすいようにゆっくりはっきり、滑舌良く話してくれたりと、そういう対応はとても助かりますね。そうでない所でも、聞こえないとわかって身振り手振りで一生懸命伝えようとしてくれたり、袋いりますか?と指差してくれたり。とっさの工夫がありがたいです」と山口さん。
聞こえないから、と諦めてしまうのではなく「どうしたら伝わるか?」と考えれば、方法はあるはずです。そういう想像力が、お互いに助け合える社会を作っていくのでしょう。
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