gente vol.020 Interview:
中川 莉紗子さん【会社員】:脳性まひ/右半身まひ・構音障害・不随意運動
できないって思ってても、何もかわらない。

力を発揮できています
「軽い障害には見えなかったですね」と面接時の印象を振り返ってくれたのは、中川さんが勤める会社の代表、依田和孝さん。
確かに中川さんの歩く姿や話す様子を見れば、身体に不自由があるのだろうとすぐわかります。就活中、選考が思うように先に進まず苦戦した中川さん。ですが依田代表は採用に迷いはなかったそうで、その結果中川さんは今や社内で「いないと困る」と、誰からも頼られる存在になりました。
中川さんにこれまでのお話をいろいろと伺うと、障害のある人への接し方が変化しつつあるのを感じる一方で、変わらない既成概念や課題感も浮き彫りとなってきます。そんな中で中川さんが仕事で能力を発揮し、高く評価されているのは何故なのか。一緒に働く方々にお話を伺ってみると、それは決して「この会社が特別な環境だから」ではないのがわかりました。
※写真撮影時以外はお互いにマスク着用の上、充分な感染防止対策をとり取材実施いたしました。
まひと不随意運動(下項参照)
右半身麻痺の中川さん。右腕右足は疲れやすく思い通りにはなりませんが、感覚もあり動かせます。にも関わらず普段は右腕をほとんど使わず、主に左手だけで生活しているのには理由があるそうです。
g:右腕は使おうと思えば動かせるのに、常に背後にまわしているのは何故ですか?
中川:手が前にあると、不随意運動が出やすいんです。手が動くと、連動して足も動いてしまうので。身体全体が揺れると疲れますし、作業もですけど、喋りにくくもなるので。
g:構音障害(下項参照)があると伺っていましたが、それほど聞き取りづらく感じませんね。発話しにくい感じはあるんですか?
中川:右半身麻痺なので、口の右側が動きにくいのはありますけど、不随意運動が出なければ、話しにくくはないです。
g:不随意運動は常にあるんですか?
中川:緊張したり、焦ったりすると、揺れが大きく出やすくなりますね。家でリラックスしている時は、全然出ないです。普段は不随意運動を抑える薬も飲んでいるので。
g:不随意運動や手足の動きというのは、子どもの頃から今まで基本的に同じというか、状態に変化はないんですか?
中川:いえ、小さい頃は不随意運動を全然気にしていなかったので、年々強くなってるような感覚はあります。人にもよるんだと思いますけど、私の場合は。手足の動きに関しては、変わらないと思います。
g:小、中学校は地域の学校に通っていたそうですね。他の子と同じように、とはいかない場面もあると思いますが、どうしていましたか?例えば体育の授業などは。
中川:できるものはやっていました、走ったり。跳び箱や鉄棒は見学して、ドッジボールも投げられないし、捕るのもなかなかできないので、ずっと逃げてましたね。大縄跳びが盛んな学校で、それは好きでした。
g:両手を使うもの以外は、時間がかかっても皆と一緒にやっていたんですね。
中川:そうですね。給食は自分で配膳をしなきゃいけないけど、片手だと難しかったので、いつも他の子にお願いして、やってもらっていました。掃除も机を持ち上げるのは無理ですけど、引きずって運んでいました。とりあえずやってみて、周りに迷惑かかってしまうほど、時間がかかるようなら、周りの子にお願いしていました。
g:毎回他の子に何か頼み事をするのは、ストレスになりませんでしたか?
中川:小学校の頃はあんまり。でも1日に何回も、ってなるとちょっと頼みにくいなっていうのはありました、申し訳ないなって。
g:周りの子たちは、すすんで手を貸してくれていたんですか?
中川:先生に促されることもあったと思うんですけど、毎回そうではなくて、仲のいい子が自然にやってくれていましたね。でも中学校の入学前に引っ越していたので、顔見知りの子がいなくて、最初すごい心細いし、頼み事をできる子もいなくなっちゃって大
変でした。もちろんお願いしたら、嫌な顔しないで助けてはくれるんですけど、頼むハードルがちょっと上がったような感覚で。
g:まだ仲良くない初対面に近い子たちに頼み事をするのに、どう説明するんですか?
中川:私の場合は見たらわかるような障害なので「これ持てないから、持ってもらえる?」と言えばわかってはもらえますけど。
g:確かに見たらわかりますね。
中川:だからそれほど困った、ていうほどではなかったですけどね。
g:高校、大学へは公共交通機関を利用して通学していたそうですね。
中川:高校生の時は空いている路線で、朝でも座れました。それまで車での外出が多くて、 一人で電車に乗る事がなかったので、電車通学は楽しかったですね。
g:とはいえ進学するにあたって、通学路というのは大きな選択肢ですよね?
中川:そうですね、できるだけ家から近い学校を選びました。大学は都内まで通ったんですけど、行きは始発に乗れたので。帰りも満員電車ではなかったですし、立っていると声をかけてくれて、席を譲ってくださる方も結構多くいました。
g:逆に何か嫌な思いをした経験は?
中川:なかったと思います。忘れているだけかもしれないですけど。両親は心配していて、最初の頃朝は父親が同じ電車に一
緒に乗っていたんですけど、途中から「もう大丈夫だから」って 一人で行くようにし
ました。都内に遊びに行く時に「一緒に行く」って待ち合わせの場所までついてきたりとか。「東京で買い物するついでに一緒に行こうかな」って言うんですけど。それはすごく嫌でしたね。
g:自分としては一人で大丈夫なのにって。
中川:親としてはだいぶ心配だったんだと思いますし、しょうがないのかな。

幼少期の生駒さん。髪はほぼ金髪で肌も白く、確かに外見は外国の子のように見えます。
note:脳性まひ
「脳性まひ」という名称や一部の症状から誤解を受けやすいですが、基本的には運動機能の障害で、知的な障害は伴いません。出産の前後に脳の一部が損傷した後遺症として、さまざまな症状が現れます。主に3タイプに分類されますが、複合的に症状が現れるケースもあります。理学療法などにより、運動機能の改善や向上は見込めます。
【痙直型】手足にこわばりがある
【失調型】体のバランスが取りにくい
【アテトーゼ型】不随意運動が現れる
※不随意運動/自分の意思に関わらず勝手に身体が動いてしまう症状。
※構音障害/言語理解には問題ないが、身体機能の問題によって発音発声がうまくできない状態。
g:部活動など、何かしていましたか?
中川:高校で合気道部に入りました。新入生への部活動説明会で、先輩の演武を見て「かっこいいな」と思って。
g:両手を使う技や足を使う体捌きも多い武道ですが、失礼ながらできるものですか?
中川:最初は見学して「入りたいんですけど、大丈夫ですか?」って話をしたら「大丈夫だよ」みたいな感じで。困った顔をされた記憶はないですね。練習も怪我のリスクがあるようなものは見学したり、代わりに違うものを練習したり、相談しながらやっていました。他の人と同じようにはいきませんけど、片手でそれっぽくなるように工夫して。
g:片手でやるにはどうしたらいいか、一緒に考えてくれる部だったんですね。
中川:先輩たちが「こうやった方がいいんじゃない」とアドバイスをくれていました。
g:試合に出ることもあったんですか?
中川:試合はないんですけど、昇級審査があって、合格を目指して練習していました。楽しかったですね。合気道ってちょっとやり方を変えたり、工夫すれば誰でもできるし「他人と比べるのではなく、自分と向き合う武道」だと教わったので、そこがすごく好きでした。あと先輩たちもすごく面白い方が多かったので、楽しかったです。
g:団体に所属する事自体、部活動が初めてだったんですか?
中川:自主的に何かをやるっていうのは、高校の部活動が初めてだったと思います。
g:先輩後輩や仲間と一緒に活動すること自体、初めてで楽しかったんですかね。
中川:部活自体楽しかったですね。合気道に試合はありませんが、昇級審査に向けて合宿があったりして、すごく面白かったです。
社会に出て
g:学校生活は周りの人のサポートもあり、それほど不自由は多くなかったようですが、就職活動では苦戦されたんですよね。
中川:はい。アルバイトをしたことがなくて、社会経験が少ないなって思っていたので、不安がありました。
g:バイトを見つけるのも難しかったですか。
中川:大学の近くの障害者支援センターみたいな所に、バイト探しの相談には行きました。けど私にできるようなものは見つからなくて。もっとよく調べれば、もしかしたら何かあったのかもしれませんけど、その時は「なかなか見つからないものなんだな」って思いました。
g:結局バイト経験がないまま就職活動をはじめて。障害者採用枠での就活ですか?
中川:はい、障害者枠で。パソコンを使う作業が好きなので、一般事務職を中心に。ゲームとか漫画が好きなので、最初はそういう会社に行けたらいいなと思っていたんですけど、
業界絞っちゃうと厳しいので。通えそうな会社はいろいろ見てみようと思って、途中からは業界絞らずに。都内の大学だったので就職支援も都内の求人が多くて、はじめは都内の企業にエントリーしていたんですけど、途中から地元企業にもエントリーして、障害者就労移行支援事業所(※1)に通ったり、ハローワークも活用しました。特例子会社(※2)への就職を紹介されたりもしましたが、最終的には就労支援の紹介で、今の会社に就職できました。
g:新卒の就活でありながら、就労移行支援事業所まで活用したんですか?
中川:はい、4 年の夏頃からですね。そこでMOS(※3)の講座を受けたりなど、パソコンスキルを磨けたのはよかったと思います。
g:それで今の会社に入って。実際働き始めていかがですか。
中川:はじめは生活相談員という、デイサービスに来てくださるご利用者様とご家族様、担当するケアマネージャーさんをつなぐ仕事をしていました。人と接する場面も多い仕事ですし、私の話す言葉が聞き取りづらい部分もあるので、最初は不安もありました。けど周りのスタッフや、ご利用者様が温かく見守ってくださって、楽しく仕事ができました。お礼を言ってもらえたり、
そういうことがあるとやっててよかったなって。
g:手足が不自由なのを見て、逆にご利用者様から心配されたりはしませんでしたか?
中川:すごく心配されました。「大丈夫?」って声をかけてくださったご利用者様は多かったです。どうしてもご利用者様がいる所で何かを書かなきゃいけない時に、片手だと紙が押さえられないので滑っちゃうんですけど、それを見て紙を押さえてくださったりとか。あとおやつの時間に、お菓子の袋を「自分で開けられないから開けて」って言われても、私も開けられないので、手が器用なご利用者様に「お願いします」って開けていただいたりすることもありました。
g:ご利用者様とスタッフであってもお互い様、という関係性が素敵ですね。中川さんは人を頼ったり助けてもらうことを、自然に受け入れられているように感じます。
中川:できないことはできないので、申し訳ないですけど、お願いしてやってもらえば。たまには「できないな」って思うこともやっぱりあるんですけど、でもそう思っていても何かが変わるわけではないので。もうそれはそれ、って考えて行動しています。違うことで、できることで頑張ろうって。
g:現在はやりたかった事務の部署に異動になったんですよね。パソコンの操作など、どうしても時間がかかってしまう部分もあると思うんですが、どう対応していますか?
中川:例えばパソコンの作業ではなるべくショートカットキーを使ったりとか、できるだけ簡単に作業ができるように意識しています。あとは予測変換機能や、よく使う文言を単語登録をして、一文字入力したらすぐ出てくるようにするなど、早く書類を完成できるようにしています。
g:できるだけ時間かけないよう、自分なりの工夫や事前の準備をしているんですね。
(※1)一般企業への就労を志望する障害者を対象に、就労に必要な知識や職業訓練、および就労の支援をする障害者総合支援法に基づいた福祉サービス施設。
(※2)障害書の雇用を促進するため親会社が設立した子会社。一般就労の障害者採用が障害のない人と同じ職場で働くのに対し、特例子会社は基本的に障害のある人のみが働く職場です。
(※3)WordやExcelなどのパソコンスキル証明となる資格
障害は私の一部分でしかない
社会人になり、服装にも変化が出てきた中川さん。好きなものを買えるようになって、感じることがあるそうです。
中川:ユニバーサルデザインていうか、誰もが使いやすい洋服とかが、もう少し増えればいいなって思います。
g:選択肢が少ないですか。
中川:自分が着たいなと思っても、ボタンが後ろにあったり。なかなかないですね。リメイクっていうか、ボタンを磁石に変えたりできるサービスもあるんですけど、ボタンひとつを変えるのにも結構お金かかるんですよね。そういうサービスがもっと手軽に使えたりすればいいなって思います。
g:自分が着やすい、着られる服が多くないし、「着たい」で選べていないんですね。
中川:それは買い物に行って感じますね。
g:そういうことは他にもあるんですか?
中川:外食する時は食べやすいものを選ぶようにしていて、片手だとスープとか汁物は飲みにくかったりするんです。両手が使えるんだったら、そういうものも美味しいお店で頼みたいな、とかはありますね。
g:ちなみにそれは、自宅ではどうしているんですか?
中川:家ではカップに入れて、ストローで飲みます。熱いので氷を入れたり、冷ましてから飲んでいますね。
g:どうしても「やりやすさ」「食べやすさ」「着やすさ」が基準になってしまうんですね、選択の。
中川:そうですね。だから(身体が)自由に動いたら、もうちょっと選べるものも変わってくるのにな、とかそういう気持ちもあります。でもそれを考えてくよくよしても仕方ないから、自分なりに。
学校生活や通学においては、必要なら手助けを求め、それに応えてくれる周囲の人々に感謝して過ごしてきた中川さん。お話を伺う限りでは、障害のある人が「特別扱いされる存在」ではない社会に少しずつ近づきはじめたように思えます。一方で、就職となるとまだまだ壁が高く、偏見や理解不足が根強いようにも感じられました。
障害のある人は、やはりさまざまな場面において「選択肢の少なさ」に直面する機会が多いでしょう。一緒に働く場が増えて、障害のある人の「選択肢の少なさ」について知る機会がもっと増えれば、おのずと障害のある人にも使いやすい衣類や製品も増えていくのではないだろうか、とお話を伺いながら感じていました。
【職場の皆さんと】
在宅支援総合ケアーサービスは、介護や保育など幅広く福祉関連事業を展開する企業です。千葉市稲毛区にある事務センターが、中川さんの働くオフィス。介護保険関連の事務処理を担当しています。仕事中にお邪魔して、その様子を見せていただきました。和気あいあいとした職場の中で、特別扱いされることもなく皆さんと一緒に働いています。


Q:今やりたいことは?
A:コンビニジムに通いたい!
高校の部活以来、なかなか身体を動かす機会がないのだそう。
今流行りのコンビニジムに通おうかと検討中なのだとか。
【右手が後ろにある理由】
右手を常に後ろへまわし、座っている時に背もたれに挟んでいるのは、この方が身体が揺れず安定するから。右手右足の感覚はあり、動かせますし歩けますが、動きはゆっくりで疲れやすく、不随意運動もあるので思うように、とはいかないようです。
【誤解を受けやすい構音障害】
中川さんの構音障害は顔にもまひがあることと、不随意運動によるもの。発音が詰まったり、発話がゆっくりになってしまうものですが、考える力や日本語力自体に何の問題もありません。脳性まひによる構音障害は、他の要因の言語障害とひと括りにされたり「知的な障害があるのでは」と誤解を受けやすい症状のひとつです。
上段左:左手にも軽いこわばりがありますが、最小限のタッチで入力する工夫をしています。
上段右:片手で文字を書くために、紙が滑らないようデスクマットは必需品。
中段:書類のファイリングなど多少時間がかかっても、できることは自分で。
下段左:電話を使う中川さん。
下段右:手をあまり動かさずに操作できる、トラックボールマウスを使っています。
中川さんの勤める在宅支援総合ケアーサービス代表、依田和孝さんのインタビューは本紙および「note」で公開しています!
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