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gente vol.016 Interview:杉﨑美奈さん/(株)ミライロ  講師

【二分脊椎症(車いすユーザー)】


沖縄で見つけた、私のバリアフリー。

便利さよりも優先したい、大切なもの。

 

「東京での暮らしの中で感じるバリアというのは、実はそんなにないんです。もちろん都会のほうが便利ですし、お声かけしてくださる方もいます。車いすで入居できる物件探しは少し大変でしたけど、結果としては見つかりましたし。生活の中で自分はちょっと工夫が必要なだけ、という考えなので、車いす生活だからこれが大変というのはないんです。」と語る彼女がそれでも今、一番住みたい場所としてあげたのは、東京ではなく沖縄でした。
 ユニバーサルマナーの検定講師として、いろいろな人への配慮ある接し方を伝える仕事をしている杉﨑美奈さん。車いすユーザーの当事者として「そんなにない」とは言いつつも、日々バリアに直面しているだろう杉﨑さんが暮らしたい場所として沖縄をあげたのは、どんな理由からなのでしょうか。
 さらに杉﨑さんが講師をつとめるユニバーサルマナー検定も取材。そこにはぜひ多くの人に知ってほしい、身につけてほしいと思う知識がたくさんありました。

やってもらっちゃってる私


二分脊椎症によって両足の感覚はなく、右足大腿部がわずかに動かせる程度、という杉﨑さん。幼い頃から車いすを使って生活していますが、学校は通常学級に通っていたそうです。

 

杉﨑:自立した大人になってほしい、という思いがあったんだと思います。二分脊椎症の場合は内部障害でお手洗いの課題もあるので、それがネックになって通常学級に行けないケースもあるんですけど、周りの人がすごく頑張ってくれて。
g:とはいえ通常学級だと、いろいろとバリアがあったのではありませんか?
杉﨑:学校にエレベーターがなかったので、教室は6年生まで1階にしてもらいました。けど上の階への移動はあって、その時は自分で階段を這って上がっていました。教室移動がある日は(床を移動するので)汚れてもいい服で行って、床に降りて手すりと床に手を置いて、お尻でトントンって感じで。
g:車いすはどうするんですか?
杉﨑:上の階にも車いすが置いてあって。学校用の車いすを作って、階ごとに置いてもらっていました。
g:なんとかなるものなんですね。
杉﨑:ただ、正直なところひとりで過ごす時間が多かったです。休み時間に他の子達が校庭で遊んでいても、輪に入っていけなかったし。車いすユーザーはクラスに私だけだったので、みんなと違う存在になってしまって、居場所がないと感じていました。先生からは「もっと輪に入っていかなきゃ」と言われましたけど、何か手伝ってもらわなきゃいけない場面でお願いするのは、結局いつも同じ子になっちゃうんですよね。「いいよ」って言ってくれるクラスメイトに。そこに引け目も感じてしまっていて、対等なお友達というより「いつもやってもらっちゃってる」って。だから小学校は楽しくなくて、自分を出せなかったですね。

 

なじめなかったんです、「みんなとは違うんだ」って。

g:いつも同じ子に頼んでしまう、それに申し訳なさを感じていたんですね。
杉﨑:はい、引け目があって。「エレベーターとかスロープがないから、お手伝いしてもらわなきゃいけない」と。教室内は通路が狭いので、車いすで動くには他の子に「ちょっと通して」って言わなきゃならないんですけど、中には「なんで?」っていう子もいました。それがだんだん「車いすに乗ってるからだよね」「やってあげなきゃいけないし」となってしまって。
g:中学も通常学級に進んだんですよね?
杉﨑:はい。中学校にもエレベーターはありませんでした。中学では1階に音楽室などがあったので、教室を1階にしてもらうことはできませんでした。だから学校にリフトがつくまで(※1)は、男性の先生におんぶしてもらって上の階に上がったり、車いすを運んでもらっていました。ようやく学校にリフトが付いてからも、私1人では操作できないので結局先生にやってもらう。だから必ず誰かの手伝いがないと、移動すらできなかったんですね、車いすユーザーだから。車いすだから?エレベーターがなかったから。ハード面のバリアがあったから、ですね。
g:進学してもやはり周りの子との違いを感じて、なじめなかったんですか?
杉﨑:他の小学校からきた新しいお友達と、最初は何とかやっていけたんです。でもやはりだんだん「みんなと違う」って、その輪から外されてしまう。車いすや荷物を持ってもらったり、移動にも時間かかるので、一緒に過ごしてくれる子は限られていて。やっぱり小学校の頃と同じように、申し訳なさを感じていましたね。頑張らなきゃいけない、と思っていたんですけどね。
g:頑張らなきゃいけない、とは?
杉﨑:通常学級で受け入れてもらえたことに、感謝はしていたんです。でも相変わらずコミュニケーションは苦手だし、勉強も遅れていて学校で結果を出せない自分で申し訳ないな、と感じていました。周りの子たちが卒業を惜しんでいる中、自分だけそうなれなかったんです。だから高校進学をきっかけに変わりたい、教室で楽しく過ごしている自分になりたい、と思っていました。

※写真撮影時以外はお互いにマスク着用の上、充分な感染防止対策をとり取材実施いたしました。

※1.中学2年の終わりになってようやく、他校で使われていたリフトを譲り受ける形で学校に車いす用リフトが設備されたそうです。

 

変えたくて


g:高校生活は、思い描いた通りのものにできたんですか?

杉﨑:高校は「福祉教養コース」という特別なクラスを選んだんです。当事者として福祉を学びたい気持ちもありましたし、私と同じように学校生活で悩んでいる子の力になりかったので。エレベーターもあったので「自分で動ける!」って。毎回教室移動のたびに誰かに頼まなきゃいけない状態からも解放されるし、自分で動いていけばお友達とも対等な関係になれる。手伝って「あげてる側」と「もらってる側」じゃない関係に、その高校で出会いたいと思ったんです。
g:整った環境と、福祉を学ぼうとする同級生。確かにそれまでとは違う学校生活が送れそうですね。
杉﨑:そうですね。自分から変わっていきたい思いも強くて、入学式の日からクラスで周りの子と話すようにしました。
g:エレベーターなどの設備によって、学校生活はどう変わりましたか?
杉﨑:自力で行けなかったのは1フロアだけで、それ以外はエレベーターを使って自分で行動できたので、ストレスは減りましたね。でもハード面だけではなくて、例えば教室内で通路が狭いのは高校でも変わらないんですけど、そういった場面では仲良くしている子だけじゃなくて、普段話していない子でも自然と手を差し伸べてくれる環境でした。それまでいつも特定の子に頼んでいたのを、高校では気づいた子がやってくれましたし、私自身も普段話していない子に対しても、頼めるようになりました。
g:それまで感じていた「申し訳ないな」という気持ちは、なくなっていったんですか?
杉﨑:それは変わらない部分もあったんですけど、でも周りの子が嫌な顔をしないで手を差し伸べてくれる、普段あまり話していない子でも気付いたら声をかけてくれる。そういった環境でしたね。それまでは自分から言わなきゃいけなかった、それ自体がまず怖かったので。
g:自然と手を差し伸べられる。高校の同級生はなぜそれができたんでしょうか?
杉﨑:同級生は私に対して「車いすユーザーだからと特別扱いするつもりないし、でも何か手伝えることがあれば言ってね」という感じでしたね。もともと何か「してあげなきゃいけない存在」と捉えていなかったのかなと思っています。

【note:二分脊椎症】

先天性の脊椎形成不全による機能障害です。生後まもなく脊椎修復手術を施しても、下肢に運動機能不全や感覚麻痺、内部障害(排泄機能)が生じる場合が多くあります。機能障害の程度は人によってかなり差があり、車いすが必要な人もいれば、運動機能に問題なく立って歩ける人や、内部障害のみが残るケースもありさまざまです。

バリアフリーな家じゃなくても


g:高校の修学旅行では、沖縄の家庭で民泊体験をされたんですよね。受け入れ家庭のバリアフリー環境なども気になりますし、大変だったのでは?
杉﨑:はい。まず民泊を仲介する窓口から「車いすユーザーは無理です」と言われてしまって、はじめは受け入れ家庭を探してももらえなかったんです。それで先生が私の動画を撮って「こんなふうに車いすに乗ります、降りられます、ベッドにはこう上がります」と説明しに行ってくれたんです、沖縄に。仲介窓口の人に見せて「受け入れ先を探していただけませんか」と直談判してくれたんです。「車いす」って言葉だけで介助してあげなきゃいけないと思われているかもしれないけど、これを見せてくるからって。そのおかげで一軒、過去に車いすユーザーの生徒さんを受け入れた経験のあるご家庭が見つかったんです。そのご家庭でも「過去に車いすユーザーの学生さんを受け入れた時はこうしましたよ」と聞かせてくださったそうで、私はそのご家庭に民泊できました。床を移動することもあるからと、きれいに掃除してお迎えしてくれたり。少しの工夫とご厚意によって、バリアフリーな家じゃなくても民泊できたんです。
g:「車いすユーザー」ではなく、杉﨑さん個人に対応してくださったんですね。
杉﨑:してくださいましたね。2泊したんですけど、まず民泊の子を迎える部屋が本来2階だったのを、全部1階にしてくれて。トイレには一段ステップになるイスを置いてくださって、シャワーにはイスを置いてもらって。イスから降りた場所にマットとバスタオル1枚敷いてもらえれば、そこで自分で身体を拭いて着替えができるので。先生が映像を持っていってお伝えした通りにご準備して迎えてくださって。うれしかったな。
g:同級生と一緒に民泊できたんですね。
杉﨑:民泊先のご家族と一緒に海に行って、砂浜にシートを敷いて座っていたんです、波打ち際で。そうしたら突然大きな波がきて、ずぶ濡れになっちゃったんです。帰ってシャワー浴びるしかないね、となって私は「申し訳ないな」と思っていたんですけど、おじぃおばぁは「楽しかったからいいんだよ」と言ってくれて。助け合いだし、出会って楽しい時間過ごせたんだからいいんだよって。その一言で、自分の障害に対しての考え方、もっと言うと人生観も変わりはじめたんです。私はそれまでずっと、何かしてもらうことに対して「ありがとう」というより「すいません、申し訳ないです」って気持ちだったんです。でも沖縄の人が持っているいたわりの心、手を差し伸べる気持ちを、過去に大変な経験をしてきた沖縄の歴史にひも付けて教えてくれて。その話を聞いて「沖縄にあるこういう考え、全部好きだな」って思いました。

「申し訳ない」ではなく「ありがとう」でいいんだなって。

g:それで沖縄が好きになったんですね。その後、沖縄へは何度か行かれたんですか?
杉﨑:いえ、大学生の頃は旅行に行きたいと思えなかったんです。修学旅行は学校が全部手配してくれましたけど、それを自分でとなると難しいのかな、と勝手に思い込んでいたんですよね。やっぱりどこか「車いすユーザーだから」と、自分自身でブレーキをかけてしまっていたんです。でも社会人となって、自分の置かれている環境の中でいろいろな挑戦をしてる人たちと出会う中で「車いすユーザーだから」は言い訳だったのかな、って気づいたんです。そこで過去の思い出ともリンクして、昨年の11月、沖縄に行けました。
g:すべて自分で手配してみて、どうでした?
杉﨑:車いすを預けるための事前連絡が必要だったり、搭乗時間も早めにはなりますけど、それをすれば行けるんです。あとは飛行機に乗ってしまえば着くので。自分でハードルを高くしすぎていたんだ、と気づきました。
g:2度目の沖縄で、何を感じました?
杉﨑:その時に出会った、沖縄に生まれ育った人たちから聞いたお互いに助け合い尊敬しあう沖縄の大きな心が好きなんです。車いすユーザーの私が動くのに、やはり沖縄はハード面のバリアが多いので周りの人に手伝っていただくんですが、それがもう全然特別な感じではなくて、自然なんです。「助けが必要な人がいるから助ける、それだけだよ」って。障害があるとか人と違うとか、そういうのを感じないんですよね。その大きな心と優しさは、もうユニバーサルマナーを超えてるんじゃないかなって思うくらいなんです。だから今は、そういう心のある沖縄に住みたいなって。

 

「ユニバーサルマナーを知って、手を差し伸べたり声をかけられる人が増えて欲しいですね。

助け合える社会にしていくための検定だと思っています」と杉﨑さん。

 

考え方や言葉と出会って


g:(株)ミライロに入社したのは、当事者として何かしたいという思いからですか?
杉﨑:「ミライロアカデミー」という、大学生向けのイベントに参加したのがきっかけです。そこで会社の「障害を価値に変える」という考え方を知って。それまで私はいろんなバリアを「持っている」と引け目に感じていたし、それが恥ずかしい、駄目なもののような考えが染み付いていたんですが、「障害は自分自身にあるのではなく、環境によって作りだされる」という考えのもとに行っている事業に、自分も携わりたいと思ったんです。
g:沖縄で感じた助け合いやいたわりの気持ちは、ユニバーサルマナーの考えに通じるものがありますよね。
杉﨑:そうですね。お声かけできる人が増えて、助け合える社会を作っていく。ハード面のバリアもユニバーサルデザインを取り入れることによって、その人自身に「手伝ってもらっている」という心の負荷をかけずに誰もが使いやすい施設を作っていく。ハートとハード、どちらも大切なんです。「障害は環境にある」と言うと、何か人のせいにしているようなイメージで捉えていた時期もあったんです。でもそうではなくて、何かひとつの理由ではなく複合的に障害が作られているんだとわかり、「障害の社会モデル」(※2)の意味にも気づけたので、今はこの「障害の社会モデル」の考えを伝えていきたいんです、ユニバーサルマナー講師として。
g:ユニバーサルマナー講師となって、杉崎さん自身にも変化がありましたか?
杉﨑:はい。それまでは人にお声かけしてもらっても「申し訳ない」と思ってしまっていましたし、それが重荷というか、また周りの人にご心配、ご迷惑をおかけしたんじゃないかと思っていました。けれども今はいろいろな人との出会いや仕事によって、「申し訳ない」から感謝の気持ちでいられるようになりましたし、私が講師としてユニバーサルマナーをお伝えできればいいのかな、という考えに変わってきました。今も完全に吹っ切れた訳ではないし、もう何も気にせず自分らしく生きてます、とは言い切れないんですけどね。変わっている途中です。

※2.「障害は個人ではなく社会の側にあるもの」として、社会にある障壁を取り除くことは社会の責務とする考え方。社会的な障壁は段差など物理的なものだけではなく、社会制度、情報伝達、差別や偏見など意識的なものも含まれます。

 


 物心ついた頃から、何をするにも人の手を借りる場面が多かった杉﨑さん。いくら必要な頼みであったとしても、毎回自分から言い出さなければならなかったのは、大きな負担だったでしょう。小学校では先生に「いつも美奈ちゃんにやってあげる〇〇ちゃんは偉いね、感謝しないとね」と言われた経験もあるそうで、そういった言葉にさらされるたび、幼い心に「申し訳なさ」が染み付いてしまったのだと思うと、やるせない気持ちになります。

 段差の解消や充分なスペースの確保など、ハード面のバリアはもちろん改善されなければなりません。しかし時間や費用のかかるそれを待つよりも、ひとりひとりのハートを変えていくほうがよほど簡単で、すぐにでもできる対応でしょう。住む場所を選ばなくても、誰もが居心地よく過ごせる。そんな社会を作るのに必要なのは、ひとりひとりの気持ちと、それを支える知識なのだと思います。

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